29 July 2005

電車での行為

最近、人間のプライバシーというものを考えらせること。教科書によると、住宅難なので長い時間の通勤になった。手狭な家に個人的な空間はなかなか足りなくて、その上、家族で逃げられない役割や家事がいっぱいだから、自由な時間を使い果した。自分の楽しみはあまりできなくて、電車だけで読むことを楽しんでプライバシーを見つかられたということである。

全く、日本をはじめ、世界中の大都市に住みや通勤なとの人々はそんな困難がよく分かる。香港を例に取れば、毎日自動車に恵まれないサラリーマンが、通勤時間の長さにかかわらず、地下鉄でもバスでもミニバンでも、いったん公共交通機関に登った途端、それぞれ自分の娯楽に没頭する。雑誌・本・新聞を読みふけったり、音楽を聞いふけったり、携帯電話・PDA・ゲームボイでゲームに夢中になる。他の人の傍目を構わず、電話でぺちゃぺちゃしゃべる人がこちらあちらいる。幸いなことに座席を占めば、やがて居眠りになるのもよく見える。明らかに、公共交通機関は個人的な寸暇を楽しまれる移動場所になったと言って過言ではない。

だが、それをやると自分のプライバシーを守られるだろうか。香港の電車では、靴を脱ぎ、手足の爪を切りなど、もっと変な景象が見えかねない。そんな無形の界限を越える行為は心臓に毛が生えているように不思議だけでなく、ぞっとさせるのはともより、是非全然受け入れられないだろう。しかし、その道理をわきまえない行為をしなったら、きっと間違いのないことだろうか。私は、地下鉄のような公衆の場所で普通と見られる行為もプライバシーを侵害させられると考える。ある女の人たちは毎朝地下鉄に飛び込んで座席を占拠してから鏡を持って出て、化粧をすると聞かれる。飲食禁止の標識を気にかけなくてめしにする。たいへんな忙しい人は、誰かがそばに腰かけていい、誰かがのぞいていい、それでも丸秘書類を読むし、携帯電話で財政や私事に亙る業務を済ます。確かに、時間をうまく使って、隣席の乗客にも直接的な影響を及ぼしないつつ、自分のプライバシーをまるで譲りになるものがある。

プライバシーという言葉は、意味が二つある。一つは、文の前で描写した他人から干渉されない自らの楽しむ自由だが、もう一つは、他人から保護する私生活だ。もちろん、通勤時間に何に占められて迷惑をかけないと、時間はどんどん過ぎられる。が、少し時間を浮かしたばかりに、自分のプライバシーの犠牲をするのは、価値があるものか。実は、他の乗客を無視しなべき上で、どんな忙しくても、私事はやはり密かにやることだと思う。それぞれのプライバシーを守るために、境界線を越えることを差し控えざるを得ないだろう。