国際理解というのは何でしょうか。私は、アメリカで4年の大学生活をして、多くの留学生とか交換学生と友達になりました。自分が必ず国際理解のははっきりすると思いました。最初に誰とも親しくなるつもりですが、外国人と知り合えればするほど民族性や本質や育てなどの違いを見つけました。英語ができるけど、皆はしばしば種族で集まることが多かったです。
香港へ帰って仕事の関係で、いろいろな外国人と接触させました。同じ任務に任命すれば、ぜんぜん違った答えが見えて、面白かったです。たとえば、J国の社員はできればさっそく没頭して、締切りまでに見事に仕上げますが、U国のは何回追いかけられたばかりに、ついに返事を出しました。坩堝といわれるアメリカにも国際理解が難しければ、電子メールや電話でできるわけにはいかないと思いました。
しかし、最近、恵まれて本当の国際理解を分かりました。仕事のせいで、非商業的な心温まる行動に触れていました。それは、同じ信念を持っている音楽製作者とか歌手が、音楽を皮切りに世界を抱くというキャンペーンに情熱を注いで、『愛』と『みんなはただの人』というメッセージを広げる行動でした。
最初のイベントは、香港の流行歌手の楊千嬅と中国クラシック音楽バンドの女子十二楽坊の音楽会でした。面白い組合せでした。音楽が好きだから、異なった分野や背景でも一緒に舞台で輝いていました。次は、香港の有望な少女バンドat17が東京へ行って、日本バンドと共に通りで演奏しました。言葉でなかなかわからないけど、音楽によって話し合われました。もっと最近のイベントは、香港音楽工作者・歌手の一団が『抱抱歌』のために、イギリスへ行きました。その『抱抱歌』は、1980年代に有名なバンドのジェーンネシスの成員のピータ・ゲビアルの録音室で、南美の傑出したサルサ音楽家のビックタ・ヒューゴが監督して、録音たり制作たりしていました。国籍も種族も違うけど、それぞれの限界を抜け出して同一のものをするの間、その差別はどんどん消えました。その上、ロンドンでMVを製作する時、通行人と観客にいつも注目されて、ダンスを無意識に始まって、お互いに抱き合って、冷たい世界を和らげました。
私は、聞くだに感動を禁じ得なかったです。それは国際理解あるいは、愛の表現でなくて何でしょう。髪が黒といい金色といいし、目が青といい茶色といいし、ただの人です。楽しいものをやって、好きな人を愛しています。それに、世界が小さくなれて、国際理解も可能だと思います。